『12人の怒れる男』:ロシアの厳しい現実と父的ロシアと・・・
シドニー・ルメット監督の傑作『十二人の怒れる男』のロシア版リニューアル作品。
オリジナルの換骨奪胎に近いアプローチである。
今回の監督はニキータ・ミハルコフ。
『黒い瞳』『ウルガ』『シベリアの理髪師』などの叙情的な映画監督である彼が撮った本作品へは、現在のロシアへの憤りや諦念や遣る瀬無さのまるごと出ている作品である。
なので、ルメット版のリメイクだと思ってみると、痛い目を見ること請け合い、である。
というのは、ルメット版では、実父を殺したとして裁判にかけられた少年を、十二人の陪審員のうち一人だけが疑義を唱え、逆転をしていくスリリングなサスペンスが基調であり、論理的に論理的に進んでいく。
対して、本作品では、ベースは変わらないまでも、有罪・無罪が論理的に進んでいくことよりも、今回の裁判に係わった12人の陪審員たちの現在のロシアに対する立場・境遇や思いなどが、過度なまでに饒舌にこれでもこれでもかと語られていく。
ロシア的な饒舌な文体、という紹介などもあるが、個人的には、ここいらあたりの描写は正直いって辟易する。
ただし、このシツコイまでの描写があるがゆえに、オリジナルと異なった結論(陪臣の評決ではない)が活きてくるのであるが・・・
で、物語の結末である。
少年を有罪とするか無罪とするかに、厳しいロシアの現実が二重写しになってくるのだが、その後のエピローグが、うぅむ。
チェチェンの孤児の少年は、そのロシアの養父を殺害したとの疑いをかけられ・・・・そして、新たな養父の登場。
父的なロシアがもう既に失われてしまったことが、現在のロシアの状況を招いている、と言いたげな締めくくりである。
ニキータ・ミハルコフお前もまでも・・・って感じがしました。
現在のロシアに父的存在が欠けており、似非父のような存在が横幅を効かせている、ということは、似非父の役柄をタクシー運転手の役柄と二重写しすることからも判るのだが、父的存在がミハルコフその人でよいのかなぁ・・・
心底、憤っていたのねぇ、とは思うものの、ロシアとチェチェンの関係を思うと、やっぱり釈然としないのデス。
ラストの衝撃度は、そんじょそこらのどんでん返し作品より強烈でした。
全体評価は★3つ半。
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この記事へのコメント
この映画、ロシアの政治批判だったのですね。異文化、チェチェン賛美に見えるほどでした。
私なんて見終わってからも あのスズメは何だったの?と思ってたくらいなので、
月例会で皆さんのご意見が聞いて、やっと納得。
でも、まだわかんない。最後の黒犬が咥えてきた手の指輪。あれ、誰の?
十二人の陪審員が 論理的に論理的に 話を進めていくのではなく、
>慈悲の力は、法をはるかに しのぐ。 という話だったとは!
陪審員たちが一人ひとり、自分の心に秘めてきた心情を吐露するじゃないですか、
私もあれ、やってみたいなぁ~。なんてチラッと思っちゃいました。
役者やのぅ。
あの陪審員長(元・将校)の役は、監督が自分でやりたかったのねェ~。