『ヤコブへの手紙』:打ち棄てられたふたり、そして希望 @ロードショウ・ミニシアター
フィンランドの田舎を舞台にした75分の秀作です。
タイトルのヤコブは盲目の老神父の名前。
そのヤコブの許へ、終身刑で収監されていた女性レイラが恩赦により釈放され、ヤコブに送られてくる何通もの手紙を代読し、返事を書くという役目でやって来ます。
しかし、ある日、ヤコブへの手紙へ送られてくる手紙は一通もなくなり、レイラは自らの過去を語ることになります・・・
物語は至ってシンプル。
ですが、根底に北欧のキリスト教観が流れており、それがひとつの寓話ような感じを与えます。
手紙は何の理由もなく、一通も送られてこなくなりますし、また、高齢のため、なにもない一日を結婚式と間違えるほど、ヤコブは衰えてしまいます。
神は見放したのか・・・そう思ったヤコブは、神父の正装着に触れ、聖餅と聖水を口にし、教会の床に横たわったとき、天井からの雨粒がヤコブの額をうちます。
神は見放していない。
送られてくる手紙に対して、聖書の一節を添えて返事をすることは「神の助けをしている」と思っていたヤコブですが、ホントウのところは「手紙によってヤコブ自身が助けられていたこと」に気づきます。
そして、これまで送られてこなかった手紙が届きます。
それは、偽りだということはヤコブも気づいています。
そして、レイラが手紙を読むふりをして、自分自身の過去を語ります・・・
そのとき、ヤコブは下着姿で、神父ではなく、ひとりの老人として、彼女の話を聞くのです。
ヤコブの物語は、神と人間のひとつの寓話でしょう。
レイラの物語はどうでしょう。
止むに止まれぬ理由からとはいえ、姉の夫を殺してしまいました。
姉を助けるつもりでしたが、姉の伴侶を奪ったことになってしまいました。
そんな自分は終身刑、罪を背負ったまま死に果てていくことこそが相応しい。
ですから、送られてくる手紙にヤコブが添える聖書の一節は、虚しく聞こえます。
神は、ひとを殺めた自分を救ってくれるわけはないからです。
そしてある日、神の代弁者としての神父のヤコブがなにもない一日を結婚式と間違えてしまいます。
その混乱したヤコブを観たレイラは、神の不在を知り、ヤコブを見捨ててしまいます。
神が不在ならば・・・キリスト教では大罪である、自ら死を選んでもかまわない、と決意します。
そこへヤコブが帰ってきます。
「神は見放していない。手紙によって自身が助けられていたこと」に気づいたヤコブが。
そのときのヤコブは神父ではなく、ひとりの衰えた老人でした。
そして、これまで送られてこなかった手紙が届きます。
それは、ヤコブを助けようとして、郵便配達人に無理に頼んだものです。
手紙などありません。
一冊の雑誌を郵便配達人から受け取り、手紙を読むふりをします。
一通目の手紙でヤコブはそれが偽りだということに気づいています。
仕方なく、レイラは自分自身の過去を語ります・・・
それは、神父の前に跪(ひざまず)く女性ではなく、ひとりの老人に語りかけるひとりの女性として。
そして彼女はヤコブが自分の過去もなにもかもを知っていたことを知るのです。
神と人間の物語から、人間と人間の物語へと昇華していきます。
近年稀なる題材を、淡々と描いた秀作といえましょう。
評価は☆5つです。
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2011年映画鑑賞記録
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