『悲しみのミルク』:ペルー、哀しみの国家、悲しみの女性 @ロードショウ・ミニシアター
これは珍しきペルーの映画。
日系のアルベルト・フジモリというひとが、かつて大統領を務めた国家。
それぐらいしか馴染みがない。
この映画で窺いしることができるのは、そのフジモリが大統領になる以前、ペルーがテロに抑圧された国家であったということ。
この映画は、その抑圧された国家の様子をひとりの女性を通して描いているということ。
ひとりの女性(ヒロイン)によるペルーの物語である。
ヒロインは20代そこそこ。
冒頭、その母親が死ぬ。
年老いた老婆のように見える母親は(たぶん)40代後半。
まだ若かった20年ほど昔、テロに抑圧された村で、母は陵辱され、夫は無残にも殺された。
死に瀕した母親は、そのときのさまを嘆くかのように、諦めたかのように歌として口ずさむ。
ヒロインは蹂躙される母と父を幼いころに見たのだろう、覚えていないまでも。
そのときの母親の哀しみは、母乳を通して、子どもにも伝わる。
そういう言い伝えがペルーにある。
タイトルの「ミルク」は「母乳」の意味である。
さて、母親を失くしたヒロイン、彼女の親戚一同は、テロの蹂躙から逃れ、ペルーの都市部の貧民街で暮らしている。
ヒロインは、テロの輩どもからの陵辱を逃れるために、幼いころより、陰部に「ジャガイモ」を仕込まれる。
女性であることを否定された女性。
本来の姿であることを否定された女性である。
そんな彼女が、母親を故郷の村に埋葬するために得た職は、その街での富豪・女性音楽家のメイドである。
その女性音楽家は、かつてペルーを支配していたスペイン系の末裔であり、見るからにヒロインとは異なる。
(字幕では判らないが、女性音楽家はスペイン語を話し、ヒロインは先住民族の言葉であるケチュア語を話しているらしい)
創作に行き詰った女性音楽家は、ヒロインが口ずさむ歌と引き換えに、真珠を一粒ずつ授けるとという・・・
それはまるで過去のスペイン支配のように。
そしてまた、ヒロインはその女性音楽家の屋敷で、同じケチュア語を話す庭師と心を通わせるようになる。
しかし、その心の交流は儚く、陰部に仕込まれたジャガイモは、女性であることを拒否しているかのようである・・・
この映画は、女性が女性であることを率直に表現できない哀しみを通じて、ペルーのアイデンティティを問いかけている映画である。
遠く離れた日本の観客には、当然にして、ペルーの実情を伺い知ることはできないのだけれども、この映画の力強い映像を通して、寓話をして伺い知ることができる。
万人にお薦めするということはしないが、20年来の映画ファンとしては、たまには、このような映画に触れて、映画の持つ本来的な力を感じることも必要ではありますまいか、と感じた次第です。
評価としては★4つです。
とはいうものの、たぶん、今年のベストテンには入る作品でしょうねぇ。
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