『夏の終り』:トリュフォーの『突然炎のごとく』に捧ぐ @ロードショウ・シネコン
昭和30年代、ふたりの男性の間で揺れ動くひとりの女性、瀬戸内寂聴原作の『夏の終り』、ロードショウで鑑賞しました。
一緒に観た妻は「なんだか、気持ちがうまくついていかないのよねぇ」と申しておりました。
さて、映画。
映画は冒頭から主人公・相澤知子の自由奔放さを映してきます。
外出先から帰ってきた知子。
手には出来立てのコロッケの入った紙袋。
和服姿でショールをかけた知子は、不倫相手の初老の小説家・小杉慎吾に「コロッケ、食べる?」と差し出します。
が、相手が食べるよりも先に、自分で紙袋からコロッケを取り出して、ショールを取る間もなく、アツアツのコロッケにかぶりつきます。
「行儀が悪い」と慎吾は知子を窘(たしな)めます。
りゃんひさは、「正直、この女性に(2時間の映画を)付き合うのはツライなぁ」とノッケから感じました。
自由というか、奔放というか、
思いどおりにならなくても、こころのままに生きていく、そんな女性です。
この手の女性は、正直いって苦手なので、映画を観る気持を萎えさせたのですが、熊切和嘉監督の映画的語り口でどんどんと惹きこまれていきました。
短いエピソードの積み重ね。
しかしながら、一場面一場面は長廻し。
エピソードの終りにフェードアウト。
そのフェードアウトも、ゆっくりと暗くなったり、さらにゆっくりと暗くなったり、と緩急をつけて。
そしてロケーション。
知子の家と、もうひとりの恋愛相手・木下涼太の下宿との分岐点。
知子の家は坂をのぼり、涼太の下宿へは坂を上らずに高架下を潜っていく。
迷い、戸惑い、決断の分岐点。
このロケーションを見つけ出しただけでも映画としては成功、と感じさせるロケーションです。
音楽の使い方も巧みで、久しぶりにニンマリとしました。
鎌倉の喫茶店での知子と慎吾の深刻なハナシ。
店内に流れる音楽は軽快なジャズ。
すなわち、深刻なときほど、後ろで流れる音楽は軽快に、というかつてのセオリーです。
このシーンの最後では、決断を暗示するように、ジャズの音も止みます。
そのほかにもニンマリとする仄(ほの)めかし。
中盤、知子が風呂にいくといったきり、涼太の下宿へ駈け込んでいく前のシーン。
風呂に行くといった知子に対して、「おれは汗をかいてないから」という慎吾。
「いやなひと・・・」と知子。
映画の中では直截描かれなかった知子と慎吾のしかるべき関係・行為を仄めかしているわけで、その直後、火照った知子は涼太のもとへ駈け込んでいくわけで。
なんとも、自由な(というか)、奔放な(というか)、いやらしい。
この映画、主役三人の演技をじっくり撮って観せているのですが、それ以上に、映画的語り口、映画的技法・演出で魅せる映画です。
なので、「なんだか、気持ちがうまくついていかないのよねぇ」という妻の言葉も一理。
観ながら素直に感じたのは、「あ、これ、トリュフォーの『突然炎のごとく』だねぇ」ということ。
熊切監督、合ってますよね?
評価は★4つ半としておきます。
<追記>
観る前は『ヴィヨンの妻』のような映画かと思っていました。
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2013年映画鑑賞記録
新作:2013年度作品
外国映画26本(うちDVD、Webなどスクリーン以外12本)
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旧作:2013年以前の作品
外国映画42本(うち劇場 2本)
日本映画 7本(うち劇場 1本)
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この記事へのコメント
映画的技法、演出で魅せるとは・・・。
私も好きな作品ですが、比べると「ヴィヨンの妻」の方がわかりやすくて好きかな。