『地獄の黙示録』:恐怖と欺瞞と欲望と暴力と混乱も含めて人間 @リバイバル・単館系
フランシス・フォード・コッポラ監督の1979年作品『地獄の黙示録』、初公開時のバージョンが劇場でリバイバル。
1980年にロードショウされたときには、オープニングタイトルもエンドクレジットもない70ミリ版と、クレジットのある35ミリ版が公開されました。
初めて観たのは70ミリ版。
団塊の世代あたりの映画ファンならコッポラといえば『ゴッドファーザー』になるのでしょうが、それよりも下の世代だとこの『地獄の黙示録』。
とにかく、完成するのか否かが話題になっていた超大作。
それが、紆余曲折を経て完成して、カンヌ映画祭でグランプリを獲得して・・・という期待が高まる中、日本で公開。
そして観てみた高校生のりゃんひさには、いやぁわからなかった。
わからないけれども「凄い」ということだけは感じたものでした。
と、回想は別の機会にして、さて、映画。
泥沼のベトナム戦争末期、かつて秀抜な功績のあったカーツ大佐(マーロン・ブランド)は、軍の規律に違反して、ベトナム奥地(正確にはカンボジア領内)に原住民とともに独自の王国を築いていた。
空挺部隊経験のある情報部所属のウィラード大尉(マーティン・シーン)は、秘密裏にカーツ大佐を暗殺すべく四人の兵隊とともに哨戒艇でベトナムの河を遡っていく・・・
という物語は、すこぶる内省的。
それを、ウィラードの回想によるモノローグで進めていくのだから、すこぶるつきである。
遡る河は、自身の心の奥。
遡る途中に出遭うエピソードは、欺瞞と欲望と暴力と混乱。
ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を鳴らしながら飛ぶヘリコプター、ナパーム弾の炎、プレイメートの扇情的な踊り、見えないところから飛んでくる銃弾・弓矢・槍、恐怖に駆られての機銃による掃討、指揮官を喪った軍隊などなど。
欺瞞と欲望と暴力と混乱。
辿り着いたカーツの王国は、一見、なんらかの摂理があるようにもみえるが、いたるところに死体が溢れている。
そこかしこに巨大な仏頭が施されているのが、かえって矛盾を表している。
カーツの王国に至るまでと至ってからでは、映画の趣は全く異なる。
この落差は激しい。
激しい、というものではないほど、まるで別の映画みたいだ。
しかし、この映画の白眉はこの落差なのだろう。
前半の、夥しい物量で描く戦争の欺瞞と欲望と暴力と混乱はたしかに素晴らしい。
が、後半も同じ筆致で描かれていたとしたら、この映画は、これほど観客を惹きつけなかったのではありますまいか。
へんちくりんな、上手く出来ていないような終盤、あまりに観念的で映画になっていないとすら言いたくなるような終盤だけれども、それが映画のラストとつぶやかれる「恐怖(Horror)」を表しているようにも感じる。
まぁ、神に近づこうとした男は、結局のところ心の奥底に常に恐怖を抱いていたがゆえに神にはなれなかった、などとということもできるけれど、それではつまらない。
なにかしらに対して「恐怖」を常に抱えているから人間なのだ、そんな恐怖から引き起こされる欺瞞と欲望と暴力と混乱も含めて人間なのだ。
そんな思いがした。
評価は★★★★☆(4つ半)としておきます。
<追記>
カーツの王国が爆破されるエンドクレジット付のバージョンも観たのだけれど、あれはロードショウのときだったのだろうか。
フランス租界での未亡人とのエピソードがあったのは「特別編集版(ディレクターズ・カット版)」だったのだろう。
今回観たクレジットなし版が引き締まっていて、いちばんいいと思う。
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2016年映画鑑賞記録
新作:2016年度作品:31本
外国映画23本(うちDVDなど 0本)
日本映画 8本(うちDVDなど 1本)
旧作:2016年以前の作品:32本
外国映画27本(うち劇場 7本)←カウントアップ
日本映画 5本(うち劇場 0本)
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