『世界から猫が消えたなら』:消えていくものはすべて大切なもの @試写会
まもなく公開の「2016年最も泣ける映画」(というフレコミの)『世界から猫が消えたなら』、試写会で鑑賞しました。
いやぁ、こういうフレコミ・惹句って、かなり苦手・・・
だけど、猫は好きだし、ポスターのネコくん可愛いし。
ということでの応募&鑑賞です。
さて、映画。
北海道の田舎町で暮らす郵便配達員のボク(佐藤健)。
母(原田美枝子)を亡くし、時計店を営む父(奥田瑛二)とは母の死以来疎遠。
大学時代からの友人ツタヤ(本名タツヤ、濱田岳扮演)とはいまも交流があるが、映画館に勤める恋人(宮崎あおい)とは、いつしか疎遠になってしまった。
そんなボクはある日、悪性脳腫瘍で余命幾ばくもないことを医者から告げられたが、その夜、ボクそっくりの悪魔が現われて、「1日にひとつ、世界から何かを消す代わりに、君の命を1日伸ばしてやる」と告げられる・・・
というハナシ。
ゲーテが描くメフィストフェレスのハナシに似ているなぁ、というのが観る前の予感。
観ている最中は、「あれ、これはキャプラの『素晴らしき哉、人生!』の逆バージョンかしら」と思っていました。
まぁ、どちらにも似ている。
元来、この手の寓話は似ていても仕方がないので、そんなことはどうでもよろしい。
ようは語り口なんだけれど・・・
どうも、しっくりこない。
というのも、消されるもの(悪魔が選ぶんだけれど)が、ケータイ電話、映画、時計、そして猫と、端からボクにとっては重要な思い出に繋がるものばかり。
はじめから、重要なものを消しては、ハナシの底が浅くなってしまう。
「ま、これぐらいならいいか」的なものから消して、そんな軽く思っていたものが積もり積もっていくと、実は重要だった、てな語り口が定石だと思うんだけれど。
りゃんひさだったら、彼女との思い出に係わるケータイ電話が消えちゃった時点で「ごめん、もういいわ。そんなにつらい思いするなんて、オレ・・・」って思っちゃう。
ここで「ごめん」っていっちゃうと映画は1時間もしないうちに終わっちゃうんだけど、そうなるとロッド・サーリングの『ミステリー・ゾーン』になってしまう(ありゃ、前回『追憶の森』でもロッド・サーリングを思い出したぞ)。
というわけで、ちょっと底が浅いような気がして、感銘は薄し。
とはいえ、ロケーションがいい。
北海道の函館・小樽のくすんだようなモノトーン気味の街並みと、南米のカラフルな街並み。
それに世界の瀑布イグアスの滝の迫力。
ハナシはともかく、映像が心に沁みる。
ちなみに登場する「ミナト座」なる映画館は、函館十字街の「はこだて工芸舎」の建物を使用したもののようです。
評価は★★★(3つ)としておきます。
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2016年映画鑑賞記録
新作:2016年度作品34本
外国映画24本(うちDVDなど 0本)
日本映画10本(うちDVDなど 1本)←カウントアップ
旧作:2016年以前の作品:39本
外国映画33本(うち劇場 7本)
日本映画 6本(うち劇場 0本)
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この記事へのコメント
ストーリー的にはどうかと思うけれども、イグアスの滝は結構見ごたえありました。
『世界の中心で、愛をさけぶ』のオーストラリアのエアーズロック(だったかしらん)を意識したのかもしれませんが。