『ザ・プレイス 運命の交差点』:イタリア版『笑ゥせぇるすまん』、かな? @DVD
昨年2019年春公開のイタリア映画『ザ・プレイス 運命の交差点』、DVDで鑑賞しました。
監督は『おとなの事情』のパオロ・ジェノヴェーゼ。
さて、映画。
ローマの交差点にあるカフェ「ザ・プレイス」。
奥のテーブルには、ひとりの陰気な男(ヴァレリオ・マスタンドレア)が常に座っている。
手元には分厚い手帳。
男のもとに入れ代わり立ち代わりひとがやって来るが、それはその陰気な男がひとびとの願いを叶えるからだ。
しかし、願いを叶えるためには、陰気な男が指示する無理難題を行わなければならない・・・
といったところから始まる物語で、オリジナルは米国テレビドラマ『The Booth 欲望を喰う男』だそうだ。
なるほど、ドラマならば、やって来るひとびとの行動を1話ずつドラマ化できるので、連続ドラマに適した題材だろう。
が、映画は凝っている。
舞台をカフェだけに限定し、やって来るひとびとの行動も一切描かれない。
彼らの報告だけ。
なので、はじめは舞台劇の映画化かと思ったほど。
映画的には、やって来るひとびとの行動を描く方が容易でわかりやすいが、それをしなかったことで窮屈さも出たが奥行きも出たように感じました。
なにせ、男が与える無理難題は、
息子を癌から救いたいと願う父親には、見ず知らずの少女を殺せ、
アルツハイマーの夫を助けたい老婦人には、人が集まる場所に爆弾を仕掛けろ、
視力を取り戻したいという盲目の男には、女を犯せ、
神の存在を信じられなくなった修道女には、妊娠しろ、
と到底できそうもないことがらばかり。
彼らの願いは叶えるためには、自身の良心を捨てろ、そうでなければ叶えられない・・・と言っているわけで、基本的には「願い=叶わない」というのが根底にあるのだろう。
ここいらあたりに監督の想いが感じられるし、底辺にはキリスト教に対するある種の懐疑があるのかもしれません。
息子の癌は直らない(だろう)、夫のアルツハイマーも直らない(だろう)、視力は取り戻せない(だろう)、髪の存在はやはり信じられないだろう・・・と。
描かれないが、陰気な男は、たぶん、願いを叶えたのだろう。
つまり、自身の良心を捨て、望み(欲望)を叶えた。
その代償が、いまの位置。
「良心を棄てろ」とひとびとに囁くデモーニッシュな存在。
最後の最後、陰気な男の分厚い手帳を、カフェで働く孤独な女性が引き継ぐのだけれど、そこのところは、もうひと捻り欲しかったところ。
レビューを書いているうちに思い出したのが、藤子不二雄Ⓐの『笑ゥせぇるすまん』。
米国ドラマ版は、まさにそんな感じの連ドラだったのではありますまいか。
評価は★★★☆(3つ半)としておきます。
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2020年映画鑑賞記録
新作:2020年度作品: 79本
外国映画58本(うちDVDなど19本)
日本映画21本(うちDVDなど 4本)
旧作:2020年以前の作品: 68本
外国映画59本(うち劇場鑑賞 8本)←カウントアップ
日本映画29本(うち劇場鑑賞 4本)
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この記事へのコメント
後にはテーブルの上に残された分厚いノートだけ。これはこれでいいラストだと思います。
なるほど、ラストの描写は、契約終了、使命から解き放たれた、ということですか。納得です。