『ノマドランド 』:根底にある喪失感と自己との対峙 @ロードショウ

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米国アカデミー賞を賑わせそうな『ノマドランド』、ロードショウで鑑賞しました。
前置きなしで、さて、映画。

リーマンショックの後のこと。
米国ネバダ州にある石膏大企業の企業城下町は、その企業の倒産とともに地図から姿を消した。
町そのものがなくなってしまったのだ。
60代のファーン(フランシス・マクドーマンド)もそこで暮らしていた一人だった。
石膏企業で働いていた夫が死んだ後も住み続けていたが、町がなくなってはどうにもならない。
そこで彼女が選んだ残りの人生は、全米をヴァンで移動しながら季節労働の現場を渡り歩くノマド(遊牧民)の生活だった・・・

という物語で、季節労働の現場現場で知り合う人とのも交流が描かれるがストリーとしてはこれだけである。

しかし、心に沁みる映画である。

なにが心に沁みてくるのだろうか・・・
つらつらと考えているうちにたどり着いたのが「喪失感」。

夫を亡くし、町もなくなった。
残されたのは、自分ただ一人。
そして、残された自分のまわりに広がる米国西部の土地と風景。
茫漠とした喪失感と対峙する茫漠とした風景・・・

主人公ファーンは常に「対峙」しているようにみえる。

オートキャンプで見知った仲間たちと出会っても、すぐには輪に加わらない。
孤独というのとは少し違う感じがする。もちろん、孤立とは違う。

対峙しているのは自分。
内省している。
しかしながら、内省し、喪失感を抱いているのは、周囲にいるノマドの仲間たちも同様である。

ノマドの仲間たちは、もう老境にはいった人たちも少なくない。
その歳になれば、何かしらの喪失感を抱えているのは、ごく自然なことだ。
リンダ・メイもスワンキーもボブ・ウェルズもそうだ。
そんな彼らにファーンは共感し、ファーンと同様に観客も彼らに共感していく。

リンダ・メイもスワンキーもボブ・ウェルズ、かれらノマドの仲間たちは、実際にノマド生活を送っている人たちで、監督のクロエ・ジャオはそんなかれらの心情を上手く引き出している。

よくよく観るとわかるのだが、かれらがひとりで語るシーンは、かれらが自分自身のことを語っている。
監督がインタビュアーとして、かれらから言葉を引き出したのだろう。
映画では、それらをファーン演じるフランシス・マクドーマンドが聞いているように編集で上手く繋いでいる。

仲間と共感・共鳴しながら、喪失感と折り合けていく・・・

底にあるのは、米国の自由の精神だろう。
相手の自由を認め、相手の自由を束縛しない。
裏を返せば、自分自身も他者に認めてもらい束縛されない、ということ。

そう考えると、日本とはまるで生き方考え方が違う社会だ。

老境の、そして白人たちばかりの、ノマドたちの暮らしに、米国の原風景をみた思いがしました。

評価は★★★★☆(4つ半)としておきます。

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2021年映画鑑賞記録

新作:2021年度作品:11本
 外国映画 6本(うちDVDなど 0本)←カウントアップ
 日本映画 5本(うちDVDなど 0本)

旧作:2021年以前の作品:21本
 外国映画15本(うち劇場鑑賞 1本)
 日本映画 6本(うち劇場鑑賞 0本)
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この記事へのコメント

じゃむとまるこ
2021年04月02日 20:24
喪失感と自己との対峙、まさにそういう映画でしたね。
りゃんひさ
2021年04月02日 20:38
>じゃむとまるこさん

まさに、と言っていただき、ありがとうございました。
ぷ~太郎
2021年05月10日 16:14
アメリカの原風景とは、まさにそうですね。農耕民族とは全く異質なものでした。ファーンがキッチンの窓から見ていた砂漠の景色、夫と一緒の幸せな時、夫が死んで1人になった時、そしてラスト、荒れ果てた家から最期に見た時。それぞれの彼女の気持ちを想像して、心にしみた作品でした。
りゃんひさ
2021年05月13日 00:35
>ぷ~太郎さん

やはり、これは心にしみた1本ですね。

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