『花腐し』:観てるこっちが腐っちゃう @名画座

昨年11月公開の映画『花腐し』、名画座上映で鑑賞しました。
監督は荒井晴彦。
松浦寿輝による芥川賞受賞作『花腐し』を、荒井と中野太が脚本化。
原作小説は未読です。
さて、映画。
東日本大震災から半年余りの冬。
都内では多くのピンク映画専門館が閉館し、業界は斜陽の一途。
監督の栩谷(くたに。綾野剛扮演)は、もう5年も映画を撮っていない。
そんな中、同棲相手の祥子(さとうほなみ)が、同業監督と心中した。
故郷での葬儀に赴くも、野良犬のごとく追い返される。
祥子が借りていたアパートは出ていかざるを得なくなった栩谷。
それから半年。
ときは梅雨。
仕事のない栩谷は、いま住んでいるところの大家から仕事の依頼をうける。
大家が所有する古いアパートに、ひとりだけ居座り続けている男がいる、追い出してほしい、と。
件の男の部屋に向かうと、愛想はいいが胡散臭そうな男(柄本佑)が出てくる。
男は伊関と名乗り、かつて脚本家志望でシナリオを書いていたという。
そして、かつて一緒に暮らしていた女の話をし始める・・・
といったところからはじまる物語で、伊関が語る女性が祥子で、ふたりして語り合う女性が同一人物。
観客は知っているが、栩谷と伊関はそれを知らない、というのが面白い趣向なんだが・・・
回想シーンはカラー、現在はモノクロとわかりやすい撮り方をしているので、観ていて混乱することはない。
が、どうも、こういう作品を観たかったんじゃあないんだよなぁ。
2時間20分近いピンク映画のようで、その手のシーンがくどい。
途中から嫌気がさしてくる。
さらに悪いことに、栩谷と伊関を通して、祥子がみえてこない。
ダメンズに引っ掛かっちゃうダメ女にしかみえない。
それは、ダメンズからみたら「都合のいい」女でしかない。
いわゆる「ファンタジー」、妄想みたいなもの。
(劇中でも、伊関が「AVのソレは童貞男のファンタジー」と言っている、それそのもの)
それはそれでいいのかもしれないが、劇中のベテラン脚本家が伊関たち脚本家志望の生徒たちに「きみたちにしか、いまの人間は描けないんだ」と言うが、この映画に出てくるひとたちが「いまの人間なのかなぁ」なんて思ってしまう。
80年代のモラトリアムにしか見えない。
最終的に、栩谷・伊関・祥子の話は『花腐し』という栩谷の脚本として結実するが(そこにひとつ謎解き的要素があるのだが)、祥子という女性が脚本に昇華されたと見るか、(都合のいい女として)消費されたと見るか。
個人的には、後者だなぁ。
このあたりが、とてつもなく不愉快。
80年代的要素は、『ラブホテル』へのオマージュのような山口百恵のラスト曲の使用や、『Wの悲劇』の名セリフの引用(荒井本人の筆によるが)にもみられ、そこいらあたりも非常に据わりが悪かったです。
評価は、★★☆(2つ半)としておきます。
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2024年映画鑑賞記録
新作:2024年度作品:20本
外国映画19本(うちDVDなど 1本)
日本映画 1本(うちDVDなど 0本)
旧作:2023年以前の作品:32本
外国映画29本(うち劇場鑑賞 8本)
日本映画 3本(うち劇場鑑賞 0本)←カウントアップ
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